「天国の人」と「地獄の人」

さて、突然ですが、私が尊敬する人の一人に、稲盛和夫さんがいます。

 

稲盛和夫さんは、京セラや現KDDIを設立、最近では経営破綻に陥っていた日本航空JAL)を再生に導いた、稀代の経営者です。

 

稲盛さんは、その経営哲学でも非常に有名であり、その考えは経営のみならず、人生における普遍的な法則について表しているだけではなく、宇宙の真理にまで言及しているのです。

 

稲盛氏の著書の1つである『生き方』の中に、私が好きな一節があります。

 

稲盛氏がお寺の老師に、天国と地獄について尋ねました。すると老師は、
天国と地獄の違いはほとんどないものの、ただ一つ、そこにいる者たちの心が違うと話します。

 

天国にも地獄にも、大きな窯があり、その中でうどんがグツグツと煮えています。

 

天国の人も地獄の人も、その大きな窯のうどんを食べるのですが、そのためには1メートルを超える長い箸を使って食べなくてはいけないのです。

 

天国の人は、その長い箸を使ってうどんをつかみ、向かい端にいる人に「お先にどうぞ」と食べさせてあげます。

 

すると、食べさせてもらった人が次に、「ではそのお礼にどうぞ」と、また長い箸を使って、食べさせてあげます。

 

一方の地獄の人は、我先にとその長い箸を使ってうどんを食べようと必死です。
しかし、箸が長すぎるので自分で食べることはできませんし、隣の人とぶつかったりして、もめてばかり。結局、うどんを食べることはできません。

 

このお話について調べてみると、お寺の法話としてよく語られるものだそうです。

つまりは、同じような環境に置かれていても、相手に対する思いやり一つで、天国にも地獄にもなり得る、ということを我々に教えてくれているのです。

 

天国の人は、相手を思いやることで、相手も自分も幸せな思いをしています。
一方の地獄の人は、自分を最優先に考えているせいで、結局相手も自分も嫌な思いをすることになるのです。

 

この話は、想像上の天国と地獄だけではなく、我々が生きているこの世の中にもありふれていることだと思います。

 

例えば、電車やバスの中。
天国の人はお年寄りなどに積極的に席を譲るでしょうし、
地獄の人は、我先にと席を確保し、席に座りたい人がいたとしても、眠ったふりをして知らんぷりすることでしょう。

 

天国の人は、席を譲られた人から感謝され、互いに良い気分になりますし、
地獄の人は、席を譲らなかった罪悪感にさいなまれ、譲られなかった人も嫌な思いをしてしまいます。

 

このように、天国の人と地獄の人の差は、その人自身の思いやり、利他の心なのです。


このことが分かってくると、その人を見れば、その人が天国の人なのか、地獄の人なのかがわかるようになってきます。

 

何か嫌なことをしてくるような人がいたら、「この人は地獄の人なんだな」と思うと、可哀想にすらなってきます。

 

なぜなら、相手を思いやるような行動をできないようなメンタリティの人であるということですし、何よりも、そのことによって、その人自身が嫌な思いをしているのですから。

 

それはつまり、その人自身が地獄を味わっていることに他ならないのです。

 

そういう人を見るにつけ、自分は天国の人でいようと、自分を戒めるのです。

 

皆さんも、天国の人でいることを目指して、思いやりの気持ち、利他の心を大切に生活していきましょうね。