今回は、
望む世界に行くには、自分の中で「設定」するだけでいい
ということについて話します。
1 この世界は、自分が「設定」した見え方に沿って自分が経験することによって成り立っている。
・この世の中は、自分が世界をどう体験するか、で決まる。
・体験は、自分が持つ「世界の見方」によって規定される。
・自分の見方は自分で設定できる。
・なのに、「世界をどう見るか」を自分で設定できないと思い込んでいる人が多い。
実際、「この世での体験は、自分が世界をどう見るか次第で決まる。」ということを周りの人に伝えると、
「そんな訳ないじゃん!」とか、「怪しい宗教みたい!」
と言って、受け入れられない人が多い。
たぶん、その人の直感に反しているからそういった反応が返ってくるのだと思う。
それに、多くの人はこれまで、人生は物質的な豊かさ(主にお金)によって決まるとか、自分の外にあるものに規定されていると思い込んで生きてきているのだと思う。
そう思い込んで生きてきたから、それが当たり前であり、無意識にそう考えてしまうんだと思う。だからこそ、自分で、この世界の体験の仕方を決められるとは思ってもみないのだと思う。
2 「見方」を自分で変えることができる、ということに気がつくことが大切
この世界に対する「見方」、つまり、自分のまわりで起きる出来事をどのように捉えるかは、さっきも書いた通り、自分で決めたり変えたりすることができる。
そして、このことに気が付くだけで、実際にそうすることができるようになる。
多くの人はそもそも気が付いていないし、自分では決めることができない(決定権は自分の外側にある)と思い込んでいるだけ。
心理学的にも、自分の見方は自分で設定可能。有名なところで言えば、認知行動療法は比較的意識的な見方を扱い、それを変化させていく。
もっと根本の見方を扱う方法もある。催眠心理学や、フロイトで有名な精神分析などを用いて、比較的無意識の領域に根付いている見方を扱うこともできる。
3 望む世界があるなら、自分の中でそう「設定」するだけでいい
この世界は自分の体験によって決まる。その体験は自分が世界をどう捉えるか、という見方によって決まる。そして、その見方は自分で決めることができる。
そうであれば、この世界をどう見たいのか、を自分で「設定」してしまえばいい。
優しい人に囲まれて生活したいなら、
「私のまわりには、いつも優しくていい人ばかりがいる。有難い。」
と思って、設定すればいい。そういう捉え方をして日々を過ごす。そうすると本当に、周りの人の優しいところを捉えることができるし、「設定」のとおりの世界になる。
それなのに、優しい人に囲まれて生活したいと思いながら、
「私の周りには意地悪な人ばかりだ。どうしてこんな悪い世界なんだ。」
と「設定」して生きている人が多い。
繰り返しになるけれど、 その「設定」通りに経験するので、結果として周りの人の意地悪な部分を捉えることになり、まさにその「設定」のとおりの世界が実現する。
ここまで述べた2つの例の違いは、自分が世界に対してどう「設定」したか、だけである。
何度も言ってしつこいかもしれないが、この「設定」は自分で決めることができる。
そうであれば、わざわざ後者の設定を選ぶ人はいないだろう。
だからこそ、望む世界があるなら、自分の中でそう「設定」すればいい。
「そうすることができるんだ」、ということを意識して、日々を過ごすことが大切。

